行動の2022年

こんにちは~リノベ設計の丸山です。

先日、友達に背中を押されて約6年間悩んでいた”行動”を起こすことができました。

実は母子家庭一人っ子で0歳の時に両親が離婚しています。それからは母親と母親の両親(おじいちゃんおばあちゃん)と過ごしてきました。21歳の時とある”キッカケ”があり戸籍謄本をとったところ、父親の名前が記載してありました。おばあちゃんにどんな人だったか聞いたところ「いい人やったよ~離婚した後もあんたのこと気にかけてくれてたよ」と言われました。その時「ボディビルダーしててなぁ」と言われて、まさかと思ってGoogleで「(父親の名前) ボディビルダー」と検索したところ…

まさかまさか、ボディビルの父親の写真が出てきました…笑

父親だ!!顔がそっくりなうえ、筋肉のつく位置、盛り上がる位置が同じ!

会ってみたいけどどこに住んでいるのだろう?会いに行っていいのかな…と色々な悩みや感情が湧いてきて気づけば6年近く経過していました。大阪に来てから頻繁に会うようになった友達が、私と似たような状況下で、彼氏さんに背中を押されて無事父親に会いに行けたから、丸山も会いに行ってみようよ!私が三重県までついていくよ!と言ってもらいやっと行動ができました。(父親の連絡先まで調べてくれる凄い友達でした…笑)

ちなみにアポはせず突撃しました。しかも台風の日に…笑

表札には家族らしき名前が書いてありました。幸せそうな表札を見て怖気づいて帰ろうかとも思いました。しかし勇気を振り絞ってインターホンを押したところ、父親が現れました。これが約27年ぶりの再会でした。軽く挨拶をした後、(迷惑かけたくないし会えただけでいいや…)と思っていたら、それを察したのか友達が「少し中でお話できますか?」と父親に伝えてくれ、無事父親と話すことができました。

話の内容は書くと長文になってしまうので割愛させていただきますが、LINEを交換したのでいつでも会える状態になったのと、一人っ子の私に歳の離れた異母兄弟の妹と弟ができました。

父親はカレンダーに私の名前のイニシャルと年齢を書いて、自分だけがわかるように覚えていてくれていました。その証拠を見せてもらったときは、離れていても私の存在が父親の中には残っていたということを知り涙腺が緩みそうでした…

今空白の27年間が少しずつ埋まっています。でももうすぐ27歳なので子供のように人懐っこく甘えることはできません…いつの間にか子供の特権は失いました笑

会いに行ったときは普段父親の休みの曜日ではないらしく、たまたま有給をとっていて丁度寛いでいたそうで、1日ずれていたら会えていませんでした。色々タイミングがいいなあと思いました。背中を押してくれた友達にも感謝しきれないし、この友達と父親に会えてよかったなぁと思った1日でした。

ちなみに私の両親の仲人は吉田沙保里さんのお父さんだったり、吉田沙保里さんと土性沙羅さんにレスリングや筋トレを指導していたとのこと。父親はボディビルダーの大会で優勝していたりと凄い方でした笑。

長文失礼しました。最後まで読んでいただきありがとうございました!